遥かなる君の声 V 25

     〜なんちゃってファンタジー“鳥籠の少年”続編
 



          25



  「喝っっ!!」

 炎獄の民の中でも最年少でありながら、ずば抜けた技量の持ち主であるらしき一休少年が、鋭い一喝と共に放ったは、魔導師らが操る“咒”とは少々毛色の異なる、言わば“気功”のようなもの。自身の全身を流れる胆力を腹で練り上げ相手へ浴びせかける…というから、本人の気力と意志のみを用いるのみで何の助けも借りない代物。だというのに、形のあるものかもしれないほどの勢いで高々と立ち昇っていた炎柱が、何物かの巨大な手により薙ぎ払われたかのように、一気に掻き消え、四散してしまったから物凄い。
「行くぞっ!」
 そこへと飛び込んで行ったのが、黒衣の導師服に痩躯を包んだ黒魔導師と、その懐ろへ光の公主をお護りしたまま疾風のごとく駆け抜けた白き騎士。殿
しんがりとなったアケメネイの封印導師が、白いマントを翻しつつ向こうへと到達したその姿を陽炎が歪め、洞窟内は再びの炎熱地獄へと戻ってしまう。勢いが足りなくて消し切れなかったロウソクの炎のように、一休少年の気合い一閃で掻き消えた筈の炎がまた、その勢いを盛り返し。地の裂け目から容赦のない火炎を轟々と噴き上げている様は、人間のやることはそれがせいぜいなんだよと、自然の脅威が嘲笑うかのようで。
「…はっ、はあ…っ。」
 さすがに、ただならない深手を負っていた身でのこの仕儀は、返る反動も大きいか、肩を上下させるほどもの、大きく激しい呼吸を繰り返し、その場へ膝から落ちかかった一休であり。そこを、

  「おっと。」

 受け止めてくれた手があって。ああ、優しい手だな。胸の前へ腕を回して、柔らかく受け止めたその手際も物慣れていて。疲労から重くなった体を支えていなくてもよくなったその上、炎に炙られてる頬がじんわりと熱くて、意識もぼんやりして来たような。何だかこのまま眠ってしまいそうだな、と。睡魔が待ち受けるどこかへ、素直に吸い込まれそうになりかかった彼だが、

  「…え?」

 これはどういうことだと眸を見張る。この腕は誰の? 確かにあの導師たちを炎の向こうへ送り出した筈。だから此処にはもう自分しかいないのに? これって誰だとギクリとしたものの、もう弾き飛ばしたり抵抗したりへの余力は残ってはいない。この炎熱の中、なのに総身が凍りつきそうな想いがしかかったが、
「大丈夫かい?」
 間近から耳へと届いた声は、一休にも重々覚えのあるもので。お陰様で恐怖はあっと言う間に去ったがその代わり、
「どうしてっ?!」
 信じられなくての驚愕が、さして変わらない比重にて少年の意識を揺さぶった。選りにも選って、白魔導師の桜庭が居残っている。頽れ落ちんとしていた自分を支えてくれている。それはありがたいことだったが、それどころではないだろうと、一休の方こそが絶叫している。いくら選りすぐりの導師たちが揃っていたといったって、あの騎士も黒の咒による意識の封印から復活したといったって。それでも足りるものかというほど、相手は…あの僧正は咒力を増している。しかも、単なる はぐれ陰体ごときではない、正真正銘 負界からやって来ていた“闇の者”に違いなく。確固たる意志あって、負界の覇者“虚無”という混沌へ忠誠を誓い、地上を護りし陽白の光に真っ向から楯突き、関わりのある存在を滅ぼすことを使命に帯びた、言わば彼らの護りし公主を狙う刺客だと、彼の仲間も忌々しげに言っていたっていうのに。
「どうして居残ったりしてんだよっ。」
 相手を甘く見てるのか? それとも…それとも、もしかして。だってずっと、彼らを直接苦しめて来たのは自分たちだったから。こんな修羅場の只中でいきなり主旨変えしましたなんて言われても、そうそう信用し尽くせなくて当然かもと、さっきもついつい口を衝いて出てしまった、あの不安を思い出す。
「………俺んこと、」
「別に君を疑っている訳じゃあない。」
 力なく紡ぎかけた一休のその声を、掬い上げるようにして遮ると。ずっと治癒の咒をかけ続けててくれていたお兄さんは、少し低めたことで何とも言えない掠れを帯びた、それはそれは甘い声でこうとも続けた。
「むしろ、精も根も尽き果てて、立っているのがやっとになるんだろうって、そうと危ぶんだほどだ。」
「あ…。」
 重い身体、それでも何とか力を入れて。肩越しに見上げるように相手のお顔を振り仰げば。にこって、柔らかく笑ってくれた。信じてくれている。それどころか、案じてもくれている。それが判って、嬉しいはずが…何だか胸の奥がつきつきと痛くなる。
「…どうしたの?」
 訊かれて、でも、応じる声が出なかったのは。何かが胸の奥の方でほどけたから。同族の仲間内にしか受け入れてもらえないのが当たり前。重苦しい使命という隠しごとを持ち、素性を明かせず。しかもその上、自分だけがずんと子供という立場だったがために。生まれた時からのずっとを、同胞の中にいてさえ外れた存在だって意識し続けてた彼だったから。何かに秀でてないと置いて行かれる。認めてもらえないとお荷物になる。そんな切迫感を、必死で押し隠し、年嵩の組に進んで混ざっての習練にも耐えて来たからこそ、ああまでの力も発揮できた彼ではあったけれど。実を言うと、さっきの気功技、滅多に使ってはいけないと、阿含からクギを刺されてもいた術で。
『お前はまだ体が出来上がってねぇからな。やわだとは思ってねぇが、これは理屈の問題なんだ、無茶はすんな。』
 そんな禁を破ったのも、彼なりの懸命な想いから。一休とても、あの僧正の企みは何としてでも制したい。自分の一族を永きに渡って良いように翻弄したとか、負とかいう世界から魔物を呼んで、この地上を好き勝手に蹂躙しようとしているとか、そういったお話は大きすぎてよく判らない。ただ、まだずっと前から大人たちに混ざっていても堂々としていたそれは誠実なお兄さんと、自分を偽って悪ぶりながらも飄々としていて、そりゃあ強くて憧れのお兄さんと。彼らをさんざん苦しめたことが、どうあっても許せないから。だから、あいつを制してくれるのならば、こてんぱんに誅してくれるのならば。この人たちの助けも何だってしようって思ってた。
「泣かないで。信じてほしいってところで案じさせてたんだね。」
 ごめんね、と。少しほど眉を下げて謝ってくれたお兄さんへ、ただかぶりを振るしか出来なかった少年へ、ひょいっと抱きかかえてしまうといい子いい子と背中をなでてやり、もう一度、生気を込めた治癒の咒を補給してあげる桜庭で。
“な〜んか妖一が小さかった頃を思い出しちゃったな。”
 とはいえ、あちらさんは…転んでもぶつけても、迷子になっても泣かなかった強情者で、強い子だねって褒めたらば、
『だって俺が泣いたら桜庭がもっと泣くじゃんか。』
 だから我慢してやってんだなんて、そりゃあ偉そうな言いようをし。いつだって口許を、ぎゅぎゅうって引き絞ってた彼だったけれど。大好きな人を思いやったり、誰かのためにって頑張れる、そんな子供がいる限り、
“ホント、人間の世界も捨てたもんじゃあないってね。”
 何とか自力で立っていられるようになったのへ、それでも支えの手を貸してやり、もう大丈夫だね?と目顔で問うてから、

  「気になったのはもう1つ。」

 そんな言いようを続ける桜庭で。え?と見上げてくる坊やへ、いつの間にか柔らかさが少々削られた眼差しでうんと頷いてみせてから、そのお顔を進行方向へと振り向けた彼は、
「こいつが君を傷つけたり、あまつさえ、妖一たちを追ってって向背から襲ったりしては困る。それもあって居残ったんだ。」
 一休の知る限り、この正念場にあっても…真剣な真顔にこそなれ、どちらかと言えば穏やかそうな表情を終始保ち続けていた彼が。初めて、寒々しいほどの挑発的な顔をして見せる。いかにも正々堂々、正義の名の下に清廉潔白なことしか致しませんという風情のあった、高貴な印象さえあった風貌が。下から睨み上げるような目線となり、口の片端だけを吊り上げての微笑を含んで、それはそれは傲慢そうな高飛車な顔つきへと変貌したから、それまでと比べれば恐ろしいまでの変わりよう。そして、

  《 久しいの、ハルト。何ともみすぼらしい恰好に収まっておるよの。》

 洞窟内のどこからか、そんな声が突然聞こえて来たものだから。
「…えっ?!」
 一休少年がぎょっとして周囲を見回してしまう。辺りは吹き上がる炎柱の灼熱でただただ真っ赤に染め上げられており、ゴツゴツした岩肌も、どこがどうという違いはないまま、先程までとさして変わりようはないと見えたのだが、
「そっちこそ、くっだらない輩と結託していたもんだよね。」
 桜庭には相手がどこにいるのかさえ判っているらしく、仁王立ちとなったまま、仲間たちが駆けていった真正面の岩壁を睨みつけているばかり。口利きさえ、吐き捨てるような乱暴なそれへと変わってしまった魔導師さんだったが、そんな罵倒句を吐き出しながらも、かっちりと大きめの手はなめらかに動いて…傍らで唖然としていた一休の二の腕を掴んで自分の背後へ、匿うように導き入れており、
「いいね? 僕の方が大きいから大丈夫だとは思うんだけど、無防備に顔を出したりしないこと。炎を吹きつけられたら一巻の終わりだからね。」
 少しばかりトーンを落として注意を授ける声は、さっきまでと変わらない、ソフトな厚みが柔らかな、暖かで優しい声音。声をかけたその締めに、ちらりと肩越しに振り返り、目許を細めて笑ってくれた、やっぱり優しい魔導師さんへ、
「あ、はいっ!」
 ああよかった、いきなり何かしらの呪いにでもかかって魔性が顔を出してしまったのかしらと、ちょっとばかりハラハラしてしまったものが、そりゃああっさりと影を潜めた。どうやら この…姿なき会話の相手は、桜庭の知る存在であり、且つ、これまでのように乙に済ましていたのでは危険な手合いだということなのだろう。それをこちらから訊く前に、
「さっきの君の一喝で、炎って障壁が消し飛んだときにこいつの気配へも気がついた。」
 桜庭の方から話してくれて、
「妖一が言ってたろ? 火山系の地熱じゃあないって。」
 気のせいかな、妖一って人の名前を口にするとき、それは甘いお顔になる人で。今のはきっと、教え子がこの自分でも気づかなかったことへお見事に察しをつけていたのが、我がことみたいに嬉しいってところかと。窮地のはずだがそんなことはプレッシャーにもなりゃしないと、彼には珍しいほどのテンションになっている桜庭が、再び前方へと向き直り、
「いよいよ地に籠もり切って永遠に外へは出て来ないつもりかい?」
 居丈高にも言い放ったところが、

  《やかましいわっ!》

 洞窟を明々と染め上げていた炎熱の中、中央で吹き上がっていた一番太かった炎柱が横へも広がってから、だが掻き消えて。それと入れ替わるかのように、凄まじい突風が石ころを抱いたまま轟と吹きつけてくる。わっと声を上げた一休へ、ほんのわずかにも揺るがぬままに立ち続けていた桜庭は、その背でひるがえるマントを腕で押さえつつ、防御作用がある装備なのでと中へ匿ってくれもして。広い背中の陰へ安心して身を寄せたそのまま、ふと視線を前方へと戻した一休は、だが、

  ――― え?

 そこに、信じられないものを見た。この突風が吹き始める直前まで、そこには高々と噴き上がる炎の柱が立っていた。古代の巨大な神殿の天井を支える円柱のような、威容さえ備えていそうな、そんな炎柱と入れ替わり、今の今、そこに堂々とその姿を現していたのは。全身までは現れていなくとも既に10mは高さを有している巨大な生物。この、不思議な力が依然として残る大陸でも、人が一生に一度だって遭遇しなくて当たり前な、想像上の生き物。何かしらの教訓とか自然の猛威とかを代弁する象徴とか言われて久しい、実在しないからこそ、こんな大きいとされているのに人の目に触れないのだと、何だか変梃子な理屈で大人が子供を煙に撒く、そんな存在。



     「………ドラゴン?」







 
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  *締めのところがちょっと不真面目な言いようでしたね、すいません。
   アニメ『銀魂』観ながら書いたせいでしょうね。
   桜庭さんにも見せ場をと思っての、とんでもない伏兵の登場です。
   余計なお世話だったかもでしょうか、桜庭くん。
(おいおい)